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シンボ誕生秘話

なぜ私が、この仕事をするようになったのか?

野球帽をかぶった少年たちが、元気いっぱいに列をなして走っていく。

乾いた土煙を上げながら、校庭を駆けるその姿は、まるで未来へ向かう希望そのものだった。

しかし、しばらくすると、その列から一人、また一人と脱落していくように、ゆっくりと歩き始める少年がいた。

元気よく振るはずだった右手を、ぎゅっとわき腹におさえ、ハア、ハア、と苦しげな息を吐き出している。

「あ……っ、また……痛い……」

「なんで、俺ばっかり……痛くなるんだよ……」

絞り出すような声でつぶやきながら、彼は先を走る仲間たちの背中を、悔しそうに見つめる。

この少年は、他の誰でもない。

小学生時代の、私です。


はじめまして。
シンボ接骨院鍼灸院の、新保直人です。

この物語は、かつて全力で走ることすらできなかった虚弱な少年が、幾多の試練と出会いを経て、皆様の「生きる力」を引き出す治療家となるまでの軌跡の物語。

少し長くなりますが、もし今、あなたが体の痛みや心の不調で前を向けずにいるのなら、ほんの少しだけ、私の旅路にお付き合いいただけないでしょうか。

序章:痛みと憧れ

昭和48年4月21日、私は新潟県新津市で、新保家の長男として生を受けました。

面白いことに、私の「直人」という名前は、両親が付けたものではありません。

親戚一同が集まる中、「名前が決まらない」という話題になった際、誰かがぽつりと、

「直人がいいんじゃねえか」

と言ったそうです。

その一言に、なぜかその場の全員が「それがいい!」と賛同し、満場一致で私の名前は決まってしまいました。

今なお、その最初の一言を発した人物は不明のまま。私の人生は、そんな少し不思議な幕開けをしました。

もし、すくすくと順調に育っていれば、物語はもっと違ったものになっていたかもしれません。

しかし、私は幼い頃から体が弱く、すぐに熱を出したり、不調になったりする子供だったそうです。

母はよく、私が生まれた時の話をしてくれました。

へその緒が首に三重にも巻きつき、泣き声も上げず、顔は真っ青な状態で生まれてきたこと。

取り上げた医師から「ダメかもしれない」と告げられたこと。

そして、そこから奇跡的に回復し、命を繋ぎとめたこと。

そのせいか、母は私に対して人一倍愛情深く、そして心配性でした。

「この子は特別だから」

そんな母の思いが、私を大切に育ててくれた一方で、私は母に心配をかけたくないという気持ちを、幼いながらに強く抱くようになっていました。

だから、言えなかったのです。

少年野球部に入り、みんなと同じように練習に励む中で、自分だけを襲うあの「わき腹の痛み」のことを。

全力で走ろうとすると、まるで内側から鋭い針で刺されるような激痛が走る。

特に、かけっこ競争の時間は地獄でした。

「直人、がんばれー!」

「いけーっ、負けるなー!」

みんなの声援が、特に大好きないとこのお兄ちゃんの声が聞こえるたびに、胸が張り裂けそうでした。

期待に応えたい。でも、走れない。

無理をしてペースを上げると、脇腹を焼くような痛みが襲ってくる。

応援してもらっているのに、それに応えられない自分が情けなくて、悔しくて、いつも泣きながら走っていました。

全力で動けない自分。

痛みに耐えられない自分。

そんな自分が、心の底から嫌いでした。

だからこそ、私はヒーローに憧れたのかもしれません。

ブルース・リーの、目にも止まらぬ動きに。

ジャッキー・チェンの、どんな痛みにも屈しない強さに。

『キン肉マン』や『北斗の拳』の、絶望的な状況でも立ち上がる主人公たちの姿に。

「強くなりたい」

「痛みなんかに負けずに、全力で生きてみたい」

その想いは、私の心の奥底で、静かに、しかし熱く燃え続けていました。

中学、高校と野球部に所属しましたが、痛みは相変わらず私を苦しめました。

わき腹に手を添えるのが恥ずかしくて、わざとペースを落として走る。

硬球を投げれば、今度は肩や肘が悲鳴を上げる。

監督が課す長距離走のメニューは、地獄そのものでした。

運動はできる。でも、体が痛くなるからしたくない。

そんな矛盾を抱えたまま、私は燻ぶるような青春時代を過ごし、やがて社会へと足を踏み出すことになったのです。

第一部:さまざまな出会い

県内の一部上場企業にエンジニアとして就職した私の毎日は、想像以上に刺激的でした。

出張先での仕事、海外での貴重な経験。

プライベートでは祭り(神楽大好き!)、仲間とのレジャー。

とことん遊んでました(^ ^)

しかし、それはまだ、本当の冒険の序章に過ぎませんでした。

転機は、社会人になって初めての同窓会で訪れます。

数年ぶりに再会した親友と、互いに独身同士、酔った勢いで「何か新しいことを始めようぜ!」と意気投合したのです。

その時、私の頭に閃いたのが、当時流行り始めていたスノーボードでした。

「これだ!」

小学生以来となるスキー場。

かつてはただの冷たくて邪魔な塊にしか見えなかった雪が、その日はキラキラと輝く銀世界に見えました。

風を切って滑走する、圧倒的な爽快感。

日常のすべてを忘れさせてくれる、非日常の空間。

私は、生まれて初めて「趣味」と呼べるものに、心の底から夢中になりました。

シーズン券を買い、週末という週末はすべてスキー場へ。

転んで、起きて、また滑る。

その繰り返しの中で、私の体には、静かな、しかし確実な変化が起きていました。

あるシーズンオフ。奥只見スキー場からの帰り道、私はふと、あることに気づきます。

「あれ……? 今日、一日中転びまくったのに、体がどこも痛くない……?」

半信半疑のまま、自宅から3kmほど離れた秋葉山までジョギングをしてみました。

息が上がる。汗が噴き出す。

でも――。

来ない。

あの、長年私を苦しめ続けた、わき腹の痛みが、来ない。

「なんだ……? 俺、全力で動けるじゃん!!」

その瞬間、私の中で何かが弾け飛びました。

まるで、ずっと体にかかっていた呪いが解けたかのように。

長年のコンプレックスから解放された私は、スケートボードを始め、様々な運動に挑戦しました。

体の調子が良くなると、不思議と心にも余裕が生まれ、自信が湧いてきました。

会社の仕事でも、その変化は現れます。

当時、私は金属を削る機械のデータを、資料を見ながら一つひとつ手入力するという非効率な作業をしていました。

コピー&ペーストすれば一瞬で終わる作業に、30分以上もかけていたのです。

以前、先輩に改善案を提案したことがありましたが、

「ずっと、このやり方でやってるから!」

と一蹴され、諦めていました。

しかし、自信を取り戻した私は違いました。

ある日、私の仕事の速さを聞きつけた先輩たちに囲まれた時、私は堂々と、その改善法の素晴らしさをプレゼンしたのです。

腹に力を入れ、芯の通った声で。

結果、その方法は正式に採用され、その年の人事評価で私は最高の「A」を獲得することができました。

体が変われば、心が変わる。心が変われば、行動が変わり、未来が変わる。

その実感を得た矢先、会社に不穏な空気が流れ始めました。

業績の悪化。希望退職者の募集。

「このままでは、沈む船と一緒に沈んでしまう」

私は、安定した大企業という船から降りることを決意しました。退職から半年後、会社は経営破綻。あの時の決断が、私の人生を救ったのです。

会社を辞め、手にした退職金と、有り余る時間。

「これから、何をしようか」

そんな時、ふと、心の奥底で眠っていたあの憧れが、再び顔を覗かせました。

「そうだ。ブルース・リーやジャッキー・チェンみたいな、本物の武術をやってみよう」

大きな書店で武術雑誌を眺めていた私の目に、一冊の本が飛び込んできました。

『合気道の科学』

そこには、私が思っていた「気合と根性」の世界とは全く違う、論理的で科学的な武の世界が広がっていました。

「この人に、会ってみたい」

著書である吉丸先生が浦和でセミナーを開催していると知り、私は迷わず申し込みました。

当日、会場で先生の姿を探していると、隣の人が目の前で受付をしていた人物に声をかけました。

「先生!」

「えっ、この人が……!?」

武道家というより、知的な研究者のような佇まいの先生。

その日、初めて体験した武術の世界に、私は完全に心を奪われました。

それから、月に2回、新潟から浦和まで車を走らせる日々が始まりました。

しかし、順風満帆とはいきません。

新たな、そしてより深刻な「敵」が、私を襲ったのです。

稽古の後、腰に激痛が走り、足は痺れ、歩くことすらままならない。肩はパンパンに張り、腕は鉛のように重い。

帰りのサービスエリアで車から降りるのも一苦労で、トイレまでガクガクと震える足で歩く始末でした。

「今日の帰りも、また地獄か……」

ある日、稽古の休憩中にそうつぶやいた私に、隣にいた直弟子の方が声をかけてくれました。

「あれ、新保さん、身体、痛かったんですか? もっと早く言ってくれれば良いのに〜」

そう言って、彼は先生を連れてきてくれました。

先生は申し訳なさそうに、しかし、はっきりとした口調で私に告げました。

「新保さん、身体が痛い原因はね、姿勢ですよ」

「……えっ?」

頭が、真っ白になりました。

「武術で使う体の動きは、普段の動きとは違うんです。体を『張った』ように使う。その時に一番大事なのが、姿勢。それができていないと、出した力が相手に伝わらず、全部自分に跳ね返ってきてしまうんですよ」

その力が行き場を失い、私の体を内側から破壊していたのです。

「特に、腰を据えて、ハラをしっかりさせて、体幹をしなやかに強くする必要がある」

先生はそう言って、正しい姿勢を丁寧に教えてくれました。

その日から、私の独り稽古が始まりました。

毎日、鏡の前で、ただひたすらに正しい姿勢を体に刻み込む。

そして、約90日が過ぎた頃。

奇跡は、静かに訪れました。

あれだけ私を苦しめていた稽古後の痛みが、嘘のように、跡形もなく消え去っていたのです。

「やった……! また、乗り越えられた!」

スノーボードで脇腹の痛みが消えたのも、武術で全身の痛みが消えたのも、理由は同じでした。

「体幹」と「バランス」。

体の中心が安定し、正しく使えるようになれば、痛みは消える。

この発見は、私の人生を決定づける、大きな光となりました。

人間の体の不思議さ、そしてその可能性に魅了された私は、心に一つの決意を固めます。

「この経験と知識で、痛みで苦しんでいる人を救いたい」

その想いが、私を「治療家」という新たな道へと導いたのです。

第二部:闇と光の間で

「これだ!」

医療に携わる仕事を調べる中で、その二文字を見つけた瞬間、私は運命を感じました。

「鍼灸師」

細い針一本で、目に見えない「気」の流れを整え、人を癒す。

その神秘性とロマンに、私は完全に心を射抜かれました。

すぐさま村上市にあった鍼灸の専門学校に入学。往復120kmの道のりも、勉強が楽しくて仕方ありませんでした。

無事に国家試験に合格し、今度は東京の鍼灸接骨院で修行を開始。

初めて患者さんから、

「先生、痛かった肩が治ったよ! ありがとう!」

そう言われた時の、天にも昇るような喜びは、今でも忘れることができません。

修行時代、私は人生の最高のパートナーと出会います。

妻の、綾です。

彼女は鍼灸学校の同級生で、私が働きながら夜間の柔道整復師学校に通うという無茶な挑戦をしていた時も、文句一つ言わずに支え続けてくれました。

「なんか最近、仕事で疲れるんだよね。体が硬い人のリハビリとか、体力が持たなくて」

ある日、私が弱音を吐くと、妻はあっけらかんと言いました。

「ふーん。前に言ってた武術の『力抜き』? あれを使えば、楽になるんじゃないの?」

「……お主、天才か?」

「うん、知ってる」

妻の一言は、まさに天啓でした。

力を込めて揉むのではなく、武術の要領で相手の力を抜き、体を緩める。

試行錯誤の末に編み出したその技術は、患者さんの負担を減らし、私の体力消耗も劇的に改善してくれました。

この技術が、後に当院の礎となります。

柔道整復師の資格も取得し、全ての準備は整いました。

私は妻と共に、故郷である新潟に戻り、ついに念願の「シンボ接骨院鍼灸院」を開院したのです。

「やる気、元気、希望の光がさす施術で笑顔と健康をいつまでも!」

スローガンを掲げ、順調に患者さんも増え始めた矢先のことでした。

私の人生を根底から揺るがす、最大の試練が訪れたのは。

父が、胃がんになったのです。

私は持てる知識と技術のすべてを尽くしました。しかし、効果は見られない。

治療家として、息子として、深い悔しさと無力感に打ちのめされました。

追い打ちをかけるように、その数年後、今度は母が大腸がんを患いました。

幸い、両親ともに手術は成功し、命に別状はありませんでしたが、私の心は完全に折れていました。

一番身近な人間すら、救えない。

そんな自分に、人を治療する資格があるのだろうか。

そんな時、母の兄弟から浴びせられた言葉が、私の心を抉りました。

「ヤブ医者め」

「身の程を知れ」

世界から、音が消えました。

自分ごときが、人間の体を治そうなどと思い上がりも甚だしい。

私は完全に自暴自棄になりました。

治療院を開けるのが怖くなり、患者さんの顔をまともに見ることができない。

一人、薄暗い治療院にこもり、何時間も動けずに天井を見つめる日々。

とっくに辞めていたはずのタバコに、再び手が伸びていました。

もう、辞めよう。

この仕事は、自分には向いていなかったんだ。

本気で転職サイトを眺めていた、そんなある夜。

黙って私の様子を見ていた妻が、静かに、しかし力強い声で言いました。

「ねぇ。あなたがヤブなわけないでしょ」

「……」

「一番近くで見てきた私が、一番よく知ってる」

その言葉に、救われたわけではありませんでした。

むしろ、その優しさが、余計に自分を惨めにさせたのです。

どうすれば、もっと人を救えるのか。

どうすれば、本当の意味で健康を守れるのか。

私は答えを求め、藁にもすがる思いで、様々なセミナーに参加し、多額の自己投資を続けました。

しかし、心の霧は晴れない。

絶望の淵を彷徨っていた、そんなある日。

千葉県柏市で開かれた、あるセミナーに参加しました。

それが、私の人生を180度変える、運命の出会いだったのです。

「活法(かっぽう)」

それは、日本古来の武術に伝わる“裏の技”。

戦場で傷ついた武士を、素早く回復させるための一子相伝の秘術でした。

敵を倒す「殺法」と対をなす、人を活かす「活法」。

講師の先生は言いました。

「これは本来、一般人が学べるものではなかった。しかし、時代が変わり、今、この知恵を治療家たちに公開することになった。皆さんは、本当に幸運です」

そのセミナーで語られる学理、長年培われてきた知識と知恵は、驚きと感動の連続でした。

しかし、本当に凄まじかったのは、実技でした。

「石灰が溜まって腕が上がらない」という参加者の肩に、講師が軽く触れただけ。

すると、今まで悲鳴を上げていた腕が、スッと、何の抵抗もなく上がるのです。

「アキレス腱が完全断裂しているのに、軽く触れただけで歩けるようになる」

目の前で起こる奇跡の数々に、私は思わず口走っていました。

「……嘘だろ」

すると講師は、私を見てニヤリと笑いました。

「嘘みたいに思えるだろ。だが、これが現実だ。治っちまうんだから、しょうがない。これが、活法の世界だよ」

まるで、狐につままれたような感覚。

しかし、それは紛れもない現実でした。

絶望の闇の中に、一条の、しかし、あまりにも眩しい光が差し込んだ瞬間でした。

第三部:宝物をあなたに

私は活法の世界にのめり込みました。

しかし、その独特の世界観は、現代人にはなかなか理解されません。

「なんだか怪しい」

そう言われることも、一度や二度ではありませんでした。

そこで私は、活法を脳科学の視点から分析し、誰にでも分かりやすく説明できるように再構築する努力を重ねました。

ようやく、自信を取り戻し始めた頃。

世界は、コロナ禍という未曾有の危機に襲われます。

私自身も体調を崩し、改めて「健康」について深く考えさせられました。

そんな時、知人から「ウェルネスヘルス」という分野について教わります。

アメリカでは「ヘルスコーチ」という職業が確立され、その活動によって、がん患者が減少しているというのです。

衝撃でした。

そして、気づいたのです。

鍼灸学生時代に学んだ、最も大切な思想に。

「未病治(みびょうち)」

――病気になる前に、それを防ぐことこそが、最上の医療である。

私は、今まで「どう治すか」ばかりに囚われていました。

両親の癌も、患者さんの痛みも、起きてしまった現象を追いかける対症療法に過ぎなかった。

本当に大切なのは、そもそも病気や痛みが発生しない体を作ること。

「治す」から「防ぐ」へ。

私の治療家としての在り方が、根本から覆った瞬間でした。

「バック・トゥ・ザ・ベーシック」――基本に還ろう。

私の施術は、活法と東洋医学を軸とした、「予防」を最重要視するものへと完全に生まれ変わりました。

失いかけていた仕事への誇りと自信が、新たな形で、しかし、より強く、確かなものとして胸に宿りました。

「予防」という考え方を得てから、私の生活も変わりました。

両親には定期的に鍼灸のメンテナンスをするようになり、子供たちの栄養を考えて長男のお弁当は私が作るようになりました。そして、妻には毎日「ありがとう」と伝えるようになりました。

治療哲学は、私の生き方そのものを変えてくれたのです。

長年の頭痛に悩み、仕事を辞めることまで考えていた女性がいました。

彼女は私の施術を受け、今ではすっかり元気になり、職場でリーダーとして活躍しています。

手術しかないと言われた腰の痛みで、毎年楽しみにしていた海水浴を諦めていた40代の女性もいました。

彼女は今、毎年夏になると、嬉しそうに海で撮った写真を送ってくれます。

これだ。

私が本当にやりたかったのは、これなんだ。

これが、私が長い旅路の果てに見つけた、「宝物」なのです。


終章:あなたの「生きる力」を、引き出すために

長い旅でした。

全力で走ることすらできなかった、あの弱かった少年。

体の痛み、心の弱さ、仕事の挫折、そして大切な人を救えなかった無力感。

数え切れないほどの壁にぶつかり、絶望し、それでも諦めずに歩き続けてきました。

今、私が確信を持って言えること。

それは、「予防に勝る治療なし」という、シンプルで、しかし何よりも強力な真実です。

そして、人間の体には、あなたが思っている以上の「治る力」「生きる力」が、必ず眠っているということです。

当院の施術は、単に痛みを取るものではありません。

活法と東洋医学、そして私の全人生を懸けて得た知識と経験を融合させ、あなたの体に眠る「生きる力」そのものを、最大限に引き出すものです。

施術が終わった時、あなたが「体が楽になった」と感じるだけではなく、

「よし、これからまたやっていける!」

と、晴れやかな気持ちで前を向けるようになること。

それが、私の心からの願いです。

もし、あなたが今、

「もうこの痛みは一生治らない」

「もう私の人生は終わった」

そんな風に、深い諦めや絶望の中にいるのなら。

どうか、思い出してください。

全力で走れなかった少年が、今、こうしてあなたの前で、あなたの健康をサポートするために立っていることを。

諦める必要なんて、どこにもないのです。

あなたの身体が本来持っている、素晴らしい力を、私と一緒に、もう一度信じてみませんか?

あなたの人生に、希望の光が差し込む。

そのきっかけになれるのなら、治療家として、これほど嬉しいことはありません。

長い物語にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

シンボ接骨院鍼灸院 新保直人

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